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ふろりあんの再最新日記

いろいろ思う

今生きている世界は、残念ながら私にとって生きやすい世界ではありません。

なので、自分の理想の世界に近づけるように動く必要が出てきます。まあ、私が動いた程度で世界の仕組みが変わることはまれなんですが、少なくともローカルな世界の中では苦労に見合うだけの(や、見合わないかもなー)理想に近づけると思っています。

いろんな作業をするにあたって、どれが理想に近い状態なのかを探る作業はわくわくしますし、あらかじめ仕入れておいた知識で理想とされるものをなるべくうまく探し出せるように普段から勉強しています。場当たりと非理想的な方法で世界に対峙していくのは好みではありません。というか、すごくストレスです。

かくして私の周りには「理想ならば本当はこうなるはず」というローカルルールが妙に増える羽目になります。だって世界が理想じゃないんだもん、理想はローカルルールにならざるを得ないよなぁ。

もちろん、完全な理想状態を作れるとまでは考えていません。理想を追い求める過程で工数かからない部分は理想から外れても仕方ないかとあきらめます。逆に、理想の肝になる部分の実現に工数がかかる場合、なるべくトータル工数が少なるなる方をとります。理想の肝の部分というのはえてして工数を下げる肝でもあるので、多少のリソースを突っ込んでも元が取れる…と、信じてます。

理想主義に過ぎるという批判は甘んじて受けます。ただ、トータル工数の削減のために「理想」を使うという方法論自体が、すごくずれているとは思っていません。

楽をするために理想の実現の工数を使う。美しくあるために(これは再利用可能であるということにもつながります)工数を使う。この辺が私の主義主張の範囲になります。

 

理想は何も開発に限った話ではありません。社会システムにおいても、人文的な出来事に対しても理想を想定してそれを前提にして進めます。小さいことにこだわるから鬱になるんだという批判はありますし、おかげで私と付き合うのは人によってすごく工数のかかる作業になると聞いています(人によっては全く工数かからないらしいのは謎。理想が似てるんですかね?)。

 

落ちはありません。