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ふろりあんの再最新日記

自由・平等の世界からマララ・ユスフザイさんのスピーチと境遇について思うこと

犯行声明を出した反政府勢力パキスタンタリバーン運動(TPP)は、教育権を求める女性の「反道徳的」活動への報復であり、シャーリア(イスラム法)に基づくものとテロ行為を正当化している。

現地の法や理想がどうなっているかは伺い知りませんが(何せイスラーム教徒;ムスリムというらしい-に知り合いは全くいない)、「教育権を与えない」のが法に従った結果だとしたら、法自体が世界の趨勢にマッチしていないと考えてしまいます。

世界の趨勢(グローバリゼーション)が正義と言うつもりはありませんが、自由・平等の世界を理想として生きている身としては「こっちの方が生きやすいよ」とは言いたくなります。自由・平等が世界の全てだと言うつもりもないですが、あくまでこちら側から見た意見として。

 

教育はある意味文化汚染であるという立場も判りますし、実際そうだと思います。原住民への同化政策が手放しで褒められないように、他の文化圏への教化が文化の破壊を引き起こすというのはあると思います。

教育の結果、元の世界にいられなくなると言うことだって起こりえます。

神林長平の「戦闘妖精雪風」の「インディアン・サマー」のエピソードを思い出します。ネイティブアメリカンのコンピュータ技術者トマホーク・ジョンに「なぜリザーブ(居留地)を出たのか?」と聞く主人公。「リザーブはコンピュータを必要としなかったから」と答えるトマホーク・ジョン。

教育(それが当人が望んだものだとしても)の結果外に出て行かざるを得ない状況に陥るというのは示唆的です。

 

それでも、自由・平等側の(元)教育者としては「教育を受け、自分で未来を選ぶ自由」があって欲しいと思うのでした。